たまにはまじめに

ゼミで色々勉強し、そしてなかなかゆっくりと休めない日が続いてます。今は非正規問題という大きな枠組みで取り組み、徐々に狭めています。
ここでは自分の意見を。長いので折りたたんであります。
ニュースで「派遣切り」「偽装請負」「名ばかり管理職」など日本の労働が劣悪であると報じられている。実際、EU諸国と比べても労働時間、雇用形態、再就職支援など様々な面において劣っていると感じる資料が多い。今回は労働時間に関わる問題点でも。
日本の労働時間は諸外国と比べて圧倒的に長い。サービス残業という言葉があるように、賃金に含まれない労働が含まれているからだ。何で日本人がこんなに働くのか、という新聞資料を見たことがある。企業側は海外との価格競争、労働者側は職を失いたくないという回答がテンプレのように感じられる。EUではワークシェアリングを導入しているからこのような問題が少ないというような趣旨の主張がよくある。
だからワークシェアリング導入で長時間労働をどうにか出来ないかという議論がある。だが実際はどうだろう。働く時間を減らす事で自分の給料が少なくなる。そうすると所得格差が広がるのではないかという懸念もあるのだ。ワークシェアリングが良い悪いについては割愛させていただくが、日本の労働に似合ったものであるか、という質問に関してはNOと私は答える。日本は正社員という言葉に一種の憧れと矜持がある。それ故に失う事への不安がある。だからワークシェアリングなんか導入して、収入は減るし、自分しかできないという専門性も失われることになったら、より特別性が減るのではないかと懸念しているからだ。だからと言って全くダメだとは思わない。過労死・過労自殺など長時間過密労働も実際あるわけで、「名ばかり」の管理職は責任を感じてサービス残業などで自分を犠牲にしている問題もあるからだ。YES・NOを言えない日本人という主張もこのようなところから来ているはず。
 企業にお伺いをたて、自分を疲弊させるのは幸せであるのだろうか。まだ社会人ではない自分にとってはそう考えてしまう。そして労働という言葉自体に恐怖してしまう。むしろニートになれる環境があればな、と思ってしまう。だからニートが悪いとは感じない。一種の逃避行と言われようとも、このような労働実態では働きたくないと思うのも当然。自分に合わないと感じるのも当然だ(だからといって誇れるものではないが)。こんなに長く働いて、死ぬように眠る。それでいて労働対価が低い。こんな人生を誰が送りたいと思うか。それでも労働を続ける人に尊敬の眼差しとそこまで働く使命感について聞いてみたい。今のところ自分が使命感を背負うようなことは実感していない。だから私はまだ「ひよっこ」だと、自分は甘いと思う。
豊かさとは?私は「自分が自分らしく生きられ、他人からいじられる生活」だと思っている。自分を誇り、他人に関与されることで自分を高められると思うからだ。しかしそれには少なからずお金が必要。だから金で豊かさを買うのだ。今日の労働では賃金が低い=豊かさが低いという方程式がある。これは否定しない。いやできない。それは先ほど自分が認めたからだ。だが少なくともワーキングプアの状態はどうにかしてほしいと思う。貰う金が少ない労働に何を求めるのか。このような労働を強いる今日の労働現場に憤りを感じるとともに諦観してしまう自分が愚かしい。だって職を失うよりは働ける方が幸せなんだろう。だから規制緩和をして失業者を減らす代わりに、このような労働が蔓延した。政府が全て悪いということも見当違いだし、すぐに変えられるものではない。しかし少しは変わっているのだろうという期待をして新聞・ニュースを見続けようと思う。